家督相続(その2・武田勝頼と織田信忠・松姫様)

八王子市台町にある「信松院(しんしょういん)」の境内に、「金照庵(きんしょうあん)」という名前のカフェがあります。

「金照庵」は、戦国時代の大名・武田信玄の息女である「松姫」様が、織田・徳川軍に侵攻され、現在の山梨県から八王子に逃れてきた際、最初に落ち着いた庵の名前とされています。
その後、現在の八王子市台町に草庵を移され、その地に創建されたのが「信松院」だと言われています。

今回は、八王子にゆかりのある、その「松姫」様について少しご紹介したいと思います。

時代は、1570年から1590年までの戦国時代末期の頃になります。
現在の山梨・長野県を中心に勢力を拡大していた武田信玄と、現在の愛知・岐阜県から近畿地方にかけて勢力を大きく拡大していた織田信長は軍事同盟を結んでいました。そして「松姫」様は、同盟の証として織田信長の跡継ぎとなる織田信忠と婚約したと言われています。

しかし、武田信玄が上洛を決意し、織田家と敵対する事となった為、この婚約は破談となってしまいます。さらに、武田信玄が京都への進軍中に亡くなり、上洛も中止となります。
武田家は勝頼が家督を相続しますが、長篠の戦いで、織田・徳川連合軍を相手に大敗。その後も両軍によって侵攻され続け、武田家は滅亡しています。
偉大な父より武田の大国を相続した勝頼ですが、それを維持する事は叶わず、「松姫」様も父祖の地を後にして、命からがら落ち延びる厳しい状況となりました。

一方、織田信忠は武田家討伐の総大将でした。ただ、武田家の滅亡後も「松姫」様への気持ちは変わらず、逃げ延びた「松姫」様を探しだし、ついには織田家に迎え入れようと使者を出したとされています。「松姫」様もそれを受け入れ、輿入れの為に信忠のいる京都に向いましたが、その途中で家臣の明智光秀による本能寺の変が起こり、信忠はそこで命を落とす事になります。
こちらも偉大な父より織田の大国を相続した信忠ですが、20代半ばで、この世を去る事になりました。

信忠が亡くなった事を知った「松姫」様は、「心源院(しんげんいん)」(八王子市下恩方町)にて出家、法号を「信松尼(しんしょうに)」と称し、亡くなった武田家一族と信忠の冥福を祈ったとされています。その後、現在の八王子市台町の草庵に移り住み、尼僧として日々を過ごす傍ら、蚕を育てて絹を作り、その絹を織って余生を過ごされていたようです。そして、その技術が後世の人々に伝わり、八王子織物の発展に繋がったと言われています。

お話しは以上となります。
八王子には歴史の深い寺院が多くあり、「信松院」もその一つです。「松姫」様の生涯にご興味のある方は、一度、訪れてみてはいかがでしょうか。
信松院:https://shinshouin.or.jp/

(注)記事の内容は、様々な文献を参考にしたものになります。
歴史認識で事実と異なる可能性がありますが、その点、ご容赦くださいますよう、お願い申し上げます。

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【公認会計士・税理士】早稲田大学第一商学部卒業。 有限責任監査法人トーマツ退社後、清新監査法人を設立、代表社員として従事(平成15年退任)。 税理士としては、トーマツ退社後、共同事務所経営を経て、串田会計事務所を設立。平成28年に税理士法人化、令和元年に社名を令和税理士法人に変更。現在に至る。 事務所開業以来40余年、個人のお客様及び中小企業から上場企業まで関与。 他に令和アドバイザリー株式会社の代表取締役を兼務。 趣味は、剣道(7段)、長唄、観相、囲碁等多数。