松姫様と八王子千人同心

八王子千人同心組頭の家

以前に織田家、武田家の家督相続と、それに関わる松姫様のお話しをしました
松姫様は武田信玄の息女で、織田家の進軍から逃れるために山梨県から八王子の金照庵に移り、その後、現在の八王子市台町(現:信松院)にたどり着いたという内容です。

「以前の記事↓」

家督相続(その2・武田勝頼と織田信忠・松姫様)

家督相続(その2・武田勝頼と織田信忠・松姫様)


松姫様のお墓がある信松院・カフェ金照庵(八王子市台町3-18-28)
https://shinshouin.or.jp/

前回のお話しはここまででしたが、今回は松姫様と関係のある八王子千人同心について書きたいと思います。

松姫様が現在の八王子市台町(現:信松院)に移り住んだのは1590年。
その同じ年に、徳川家康が居城を駿府(現在の静岡県静岡市)から江戸に移し、それと同時に甲斐国(現在の山梨県)の警備に赴任していた人達を八王子城下に移したのが、八王子千人同心の始まりです。

千人同心は、治安維持や国境警備を目的とした組織です。
当時、日光東照宮の警備を担当していたのもこの千人同心です。
東照宮には徳川家康が祭られていますが、幕府の精神的なよりどころとなっていた場所の警備を任されている事を考えると、幕府の信頼も相当厚かったという事になります。
そして、後世、千人同心街道と呼ばれているのは、千人同心が東照宮勤番のために整備した八王子市千人町から栃木県佐野市までの街道を言います。
ルートは千人町から拝島方面(昭島市)に向かい、ひたすら佐野市まで北上するルートです。道中には15の宿場があり、それを利用しながら、警備にあたっていたようです。

また、八王子の千人町という町名も、千人同心が暮らしていた事が由来となっています。彼らは、最初9人の頭と250人の同心で結成されましたが、関ケ原の戦いが行われた1600年に、10人の頭と1,000人の同心で再編され、文字通り千人同心となりました。彼らは徳川家に仕えつつも、武田家旧臣として同じ地域に住む松姫様を敬愛し、経済的支援を惜しまなかったと伝えられています。
武田家旧臣の千人同心にとっても、信玄公の息女である松姫様は精神的な支えとなっていたのでしょう。
このような歴史的背景があり、八王子市と日光市は姉妹都市になっています。
ご興味のある方は、八王子から日光まで足を運んでみてはいかがでしょうか。
かくいう私も、八王子千人同心18代目の末裔です。